死生観
昨年は多くの告別式に参列しました。
とにかく周りで多くの方が亡くなられました。
一年単位で考えると社長就任して以来、過去最高だったと思います。
原因不明の超過死亡数が信じられないくらい増えてるとの事。
祖父の法事の時のお寺さんも、今年は葬儀の数が昨年の倍はあると感じる、忙しい。と仰ってました。
葬儀所も順番待ちで、亡くなってから4日も5日も経ってからやっと通夜と葬儀ができる状況とか。
皆さんも、テレビや新聞の情報、政府発表などを鵜呑みにせず、ご自身と大事な家族の健康は自分達で守りましょう。
さて、本題。
死生観の話です。
このブログでも昨年書きましたが、他社ではありますが、新入社員研修で共に登山をした若者が亡くなりました。
若かったですが、本当に周りに良い影響を与える、高い人間性を持った子でした。
人間性とは、魂の磨かれ方によって高まっていくと思います。
小さな子供のうちは、わがままで自分からの事ばかり考えてます。
大人になるにつれて社会に出て、いろんな人と関わり、道徳を学び、人間性が高まっていきます。
そういった交わりの中で、彼はしっかりと考えながら生きて来たのでしょう。
死生観。
尊敬するある人から聞いた話です。
人は死ぬと体と心は無くなるが魂は残る。
死んだら、その心はもう自分の事を考えることは出来ない。
死んだ魂は記憶も含めて何かを持って行くことも出来ない。
なら、人は死を意識した時、
自分の事ばかり考えることは間違っているのでは?
死んだらどうせ自分の事なんて考えないんだから、生きてるうちから人の事を考えて生きたい。
との事。
確かに!と思いました。
死から生を考える。
人の事を思い、人に寄り添い、人を助け、人に良い影響を与える。
それによって死してなを、周りの人の心の中に生き続けていく。
年をとり、老い、体は衰えていきますが、それだけ死を意識した時間が長ければ長いほど、そうやって魂が磨かれる。
やがて体と心は無くなっても、美しく曇りのない魂は残る。
死んだ先は誰にも分かりませんが、本当にそうあって欲しいです。
年老いても尚子供の様に自分のことばかりしか考えてない方が多いです。
逆に、若くして高い人間性を持った人は既に周りの人の心に強く良い影響を与えています。
早い遅いはあれど、必ず訪れる死。
死生観を持って生きたいですね。